Interview with KUGURIDO

“その時々の自分にとっての頂きを踏むために”


2016年、姫路にて結成。KUGURIDOは希有なバンドだ。Gotoの繰り出す無骨で重いD-beatと黒々とうねりながらも刀のような鋭いJyojiのベース、その上で縦横無尽に暗黒のメロディを奏でるHamaのギター。そして暗く咆哮する日本語ヴォーカルが駆け抜ける。まるで暗闇の泥の道を叫びながら爆走するその音は、正に孤高のハードコアパンクと言える。今まで何度も共演をしたけれど、じっくり話ができなかった。ベースヴォーカルのJyoji氏に今まで聞けなかったKUGURIDOの秘密について教えてもらった。




こうやって改めてKUGURIDOのディスコグラフィーを見てみると、アルバムこそまだ出てないですが、もう既に3枚ぐらいアルバム出したんじゃないかってくらいすごく強くて濃密で個性的な楽曲が多いです。更に、それぞれの音源で明らかに音が違っていて、進化を繰り返しているなと感じます。個人的に、2018年2月にリリースされたベニヤの限定1st EPがKUGURIDOのターニングポイントだったと思うのですが、このEP制作を通して、苦労したところや変わったところ、手応えを感じたところなどを教えて下さい。
 


確かに大きく変わり出したのはその辺りかもしれないですね。もっと言うと自主セレクトコンピ、3LAコンピから徐々に変わり出したのかも。アレンジが自主性を持ち出して自由さが出てきたのだと思います。あと自分たちでレコーディングし出したってのも大きいかな。そしてベニヤe.p.で解り易く開花してきた様に感じます。

自分が主に曲を作っているのですが自分の仕事は2人のアレンジを引き出す事なので、このコード進行ならこう来るかああ来るか、やり易いか、やり難いしボツになりそうだけど次の為にやっておこう、だとか。その楽しさがありましたし、まだまだいけるなぁとも思いました。特にで言うと「バサラ」や「八月の狂詞曲」になります。このe.p.時の「バサラ」のイントロは今と違いますが、今のイントロはギターのHamaがアレンジしたんです。そう思い返すとやっぱりこのe.p.辺りから自主性が高まってきたのだと思います。

楽曲の苦労で言うとD-beat以外で特に8 beatのアレンジがまだまだですね笑。簡単なリズム、オーソドックスなコード進行はアレンジし難く感じます。ekkaiaがその辺りめっちゃ上手いから参考にしようとしているんですが如何せんまだまだ参考しきれていません笑。

あとの苦労はジャケ作りになりますね。ベニヤ板にサンドペーパー当てて、ステンシルとシルク印刷。中に入れたフライヤーではスタンプも作って1枚ずつ押してやりましたから笑。

手応えで言うと個人的にはまだ正直感じてなかったと思います。4曲とも違う色で作ってるのでまだ試行錯誤中だったんですよね。どの路線が自分たちに1番合ってるのかをリリースしながら考えてるんでしょう笑。今でもやってる事を考えると「バサラ」が1番合ってるのだと思います。今年の8月31日に昼は東京、夜は群馬でのライブがあってドラムが海外出張で出れなくてbachoの高永さんにヘルプ頼んだんですがバサラが1番楽しそうにプレイしてましたしね笑。



あのベニヤジャケはほんまに凄いです。誰にも真似できない…。ekkaiaはほんまアレンジの神ですね。僕がこのベニヤEPに惹かれるのは、ジョウジさんが言うような「まだまだいけるなあ」という“可能性”がほとばしってるからかもしれないです。なんかジャンルとか関係なく、どこか…今生まれたてのハードコアパンクを感じてめちゃ刺激的で新鮮でした。

「バサラ」かっこいいです。前のアレンジも今のアレンジもどちらも好きですね。「バサラ」に出てくる“院ならば射てくれよう”は土岐頼遠(室町時代のバサラ大名の一人)のことですね。嫌われようが自我を貫く姿勢というのは、権威や権力に対して抵抗するというバサラの姿に自らのバンドと既成のハードコアシーンを重ねているのかなと思ったりしたんですがどうでしょうか?“古き悪しきとの決別を”“細く狭く暗く出会うは…”あたりの意味も教えて下さい。
 
あと、個人的に最も震えたのは「八月の狂詞曲」なんですけど、あの頭の不穏なベースとオルガンみたいなギターの音はどうやって練られて録られたんですか?あと、展開も不思議な構成で、ギターも目まぐるしくフレーズが変わります。あのアレンジに至った経緯も教えて下さい。


バサラの姿勢は正しく権威や権力、そしてハードコアに対してですね。何と言うか「クラストはこうなければならない」みたいな風潮に対してが主です。それに対して何を思われようが自我を貫く、と言った感じです。その姿勢が「古き悪しきとの決別を」に繋がります。勿論良いものは良いとして取り入れようと言った上での事で、日本のハードコアは海外から入ってきて自分たちで解釈して日本の独特で毒々しいハードコアが形成されたと思うんです。良い所は取り入れてプラス自分たちの感性で新しいものを作ろうと言う感覚が大事だと思うのでバサラにはその想いを詰め込んでいます。なんでもかんでも新しいものを、ってな訳ではなく、古いものは古いもので良いと言うのもちゃんと残したいのでそこも大事にして。

「細く狭く暗く出会うは去りし過去」と言う所はパンクの狭小な所を指しています。出会えばそれは一瞬で過去に変わるので、それをアウトプットしてまた新しいインプットを、と言ったところですね。知識を知恵に変えよう、そしてまた知識を、みたいな。

「八月の狂詞曲」についてですがイントロのベースが真っ先に出てきてそれをメンバーに聴かせてその場の雰囲気でセッション的にD-beatまでとりあえず作ったのかな確か。イントロが好きなのでそこだけ残してまた別物作ろうとか、あの部分だけインストでやろうとか未だに考えますね笑。ギターも好きですし、イントロではないけどドラムはHHIGのポールがやってたD-beat時のスネア2打も多用してて好きです。基本的には任せてあまりにも違和感あったらツッコむって言うバンドアレンジのやり方です。だから各々の感覚、ファーストインスピレーション、客観的に聴いてのセカンドインスピレーションが主になります。それからD-beatの前にアウトロも出来てました。こう始まるならこう終わろうって感じで。クラシカルミュージックが好きなのでなんとかハードコアと融合させたいと言う想いが強いんでしょうきっと笑。その辺りが初期衝動を匂わせてるのかもしれません。ただボーカルの乗せ方が気に入らなかったのでボツにしてしまったんです。あ、アウトロ前のD-beatの矢継ぎ早のコード感はHHIGのsurrenderからです笑。




なるほど!HHIGやったんですね。「八月の狂詞曲」は初期衝動に満ちていて鬼気迫ってます。どんな形でもよいので復活を密かに期待してます(笑)。「バサラ」の話が聞けて良かったです。ハードコアに限らず、どこの集団もそういう危険性をはらんでると思うんですけど、始めに大切にしていた気持ち、志をいつしか忘れてしまって、共同体の中で、権威や上下関係ができてしまうことってありますよね。それ一番陥ったらだめなのに…。自戒もこめてですが、本当にそうはなりたくないです。特に音楽は自由でありたいです。次に、2018年DEMOの話を聞きたいんですけど、前作のベニヤEPからどういう進化というか経過をへて完成に至りましたか?また変化したところ、手応えを感じたところなど自由に聞かせて下さい。


このDEMOはベニヤ板e.p.の次はテープで出そうと決めてたんですね。それも片面5分のテープで。その中に3曲入れたいと思って曲作りを始めて、結局ギッリギリで詰め込めれて笑。曲の雰囲気は3LAコンピの「桃源郷夜想曲」の地続きにして、コードは「奴僕」が主で「棲戦」なんかは「バサラ」からなのでやっぱり「奴僕」が主になります。「紅嶺鴉」のギターソロは「桃源郷夜想曲」からのものなのでこのデモはこれまでのまとめとしてリリースした感じですね。それと1曲目の「雑草」のイントロの雰囲気で作り直したのがunfadedとのスプリットの「底魚」で部分的には「ヒダルガミ」にも使ってます。だから今考えるとまとめプラス分解と言う事になりますね笑。ギターもドラムもこのデモはめっちゃ好きです。録音は歌も楽器と一緒に1発録りでやったから全体の音も好きかな。手応えはその辺りと「紅嶺鴉」です。KUGURIDOだけでなくこれまで作ってきた中で1つの理想が出たと言うか、各々の培ってきたものや精神的な狂気と繊細な部分が絶妙的に噛み合ったって感じで。



確かに。再生した瞬間に分かりますね、このDEMOの凄さは。「雑草」のイントロが鳴った瞬間に何かただならぬ不穏な雰囲気に襲われます。イントロのドラムとベースの重くてドロッとしたDビートといい、ギターの暗黒の旋律といい素晴らしくて、そして他の誰にも似てないところも凄いなと思いました。音像に関しては、すべて一発録りの緊張感とパワーと情念をそのまま閉じ込めることに成功してますね。ジョウジさんのボーカルも一発録りなので、他のバックの演奏に自然と溶け込んでいて非常にダークです。前作のベニヤEPと比べると音楽性も一貫したものが感じられて、他の誰とも似ていないKUGURIDOの音の一つの到達点という感じがします。「各々の培ってきたものや精神的な狂気と繊細な部分が絶妙的に噛み合った」というのもよく分かります。クラストコア、Swedishを基盤にしたハードコアではともすると、ノイジーなほうに振りすぎて繊細な暗さや情念を音で伝えられなくなる可能性大なんですが、KUGURIDOは攻撃性や激しさと狂気や繊細さ内向的暗さを共存させることに成功しています。「紅嶺鴉」も良いですね。ハードコアパンクの原始の勢いに溢れています。「棲戦」なんですが、まず、このタイトルの棲戦の意味を教えて下さい。それと“破壊なしでは先がない…残す意義 存在 マスラヲ…無から想 想から有”の意味を聞かせて下さい。


「棲戦」の読みはそのまま「セイセン」でマスラヲ(益荒男)を出していますが魚の「マス」の事を歌っていて、と言っても実際はマスだけでなく水の中で生きる生物たちの事ですが、日々生きる戦いと人間のいやしい欲との戦いの事ですね。残す意義とは子孫の事であり、存在とは守る事を指しています。

その前の「破壊無しでは先が無い」と言うのは人間がこれまで破壊に次ぐ破壊を繰り返してきた事への皮肉的なメッセージです。そうしなければ本当に未来は無かったのか?必要以上の事をしていないか?と言う意味合いがあります。予算が余っているのか訳の解らん工事を多々見かけたり、遊ぶ為だけの場所を作ったり等ですね。そこに棲む生物、そこから下流で棲む生物からすれば迷惑でしかないでしょうから。

「無から想 想から有」と言うのは何かのきっかけで疑問を抱いて想う事が生じれば行動で示そうと言う事ですね。意識を持つだけでもかなり違うと思うんですよね。単純な事で言っても山にゴミを置いて帰らないとか、当たり前の事なんですがこの当たり前を出来ない人が多いんです。人が多く集まる人気の山、日本百名山に選ばれる山は特にゴミが多い。川沿いに登る事もあってそのラインのどこかで休憩しても目立ちます。それは登山者だけではないでしょうし、例えば釣り人然り遊びに来てる人も仕事で来てる人も。ほんの少しの意識だけでいいのにねってかゴミ置いて帰ってうしろめたくならないのかな?笑。地元には川祭りなんて催しがありますが酷いもので見たら沸点超えるのでハナっから行きません笑。全然祭られてないやんけ!って愚痴になりましたがつまりはそう言う事です笑。




自然破壊の問題は深刻ですね。プラスチックの問題、食のために遺伝子操作された生き物たち、便利さの果てにある農薬まみれの食、必要ない誰のためなのか分からない公共事業とか。そして、身近なところで自然を汚している自分たち…。ジョウジさんの解説を聞いてみると、やはりというか、どことなくPAINTBOXを彷彿とさせます。言葉の紡ぎ方や自然を尊ぶ曲のテーマに特にそれを感じますが、PAINTBOXに対する思いや影響などあれば自由に教えて下さい。


PAINTBOXについて特に影響された部分は楽曲自体でコード進行だとかやっぱりチェルシーさんのギターアレンジですね。色んなジャンルが混ざってると言うかそれこそ性格なのかもしれませんが。どんなジャンルであれ良い所は取り入れてって感じで。もうほんと自由の一言なんですよね笑。それでもちゃんと成り立ってるのが凄いです。あの時代でよくこんな曲出来たなとかよくこんなギターアレンジが出来るなとか、でもあの時代だから生まれたのかもしれんとかめっちゃ考えます。時代で言うと例えばDEATH SIDEと同時期に活動してたバンド「まつじ」もそうですが楽曲センスがめちゃくちゃ凄い。激情ハードコアが好きな人にも聴いてほしいぐらいです。時代がそうさせたのか性格がそうさせたのかは解りませんが、自分もその時代に生きていたらまた違った曲を作っていたのかもしれませんね笑。 なんと言うか新しいハードコア、パンクを生み出そうみたいなそんな想いがヒシヒシと伝わってくるんですよ。「一緒にすんな」みたいなね笑。メタル好きな人にも好かれるパンクバンドってあの時代では珍しかったと思いますし、凄いですやっぱり。ダミ声でしっかり歌い上げるムネさんの投げっぱなしジャーマンみたいなボーカルも心底好きです。



ほんまその通りですね。ジョウジさんが“LENTAA EGRETS”でも紹介してた『まつじ』かっこいいです。なんかチェルシーさん(そしてPAINTBOX)って全てのしがらみから解放された自由なハードコアパンクやっててリスナーの想像を軽く超えてくるのが凄すぎますよね。言うのは簡単ですけど…なかなかできないです。あとPAINTBOXといえば、歌詞がまっすぐ世界の真理を言い当てていて脱帽します。ユーモアを忘れないところも。チェルシーさんが次に目論んでいた4枚目の“黒いアルバム”が聞きたかったです…。さて、KUGURIDOの2019年8月リリース、僕らにとっても念願だったスプリットアナログ7インチの話を聞きたいんですけど、僕がひょっとしたらKUGURIDOで一番好きではないかと思い始めている「250号線」についてです。
 
“鉄 油 死骸 ガス香る海 揺れる赤潮 ユリカモメ 海洋越え 暮れなずむ250号線(ハマコク)…”
 
まるで夕暮れの海の情景が目に浮かぶような素晴らしい歌詞なんですが、ここまで詩情に溢れるハードコアも珍しいというか、全く新しい感性を呼び覚ますという意味で凄いと思いました。音的にも展開といい終盤の高まるところからの余韻といい、素晴らしいです。「250号線」のような、詩と音に故郷の情景を投影させる試みについて、そして、故郷=姫路への思いについて自由に聞かせて下さい。


これは、、、想う所深しですね笑。先ずは「“鉄 油 死骸 ガス香る海 揺れる赤潮 ユリカモメ 海洋越え 暮れなずむ250号線」の1コーラスに関してですが、僕がよく行く姫路港は新日鉄が近くにあり鉄に関する工場が多いんですよ。その為油の匂いも凄くて。それと釣り人も多くて、ボラを釣り上げればリリースしないでその辺に捨てるんですよ。それを鳥や猫が食らうので実は成り立ってるから良いと言えば良い。めちゃくちゃですけど。そう言った匂いもある訳です。

赤潮と言うのはそのままです。ユリカモメも勿論。この辺りは見ているものが主になります。海洋越えと言うのもそのままかな。会いたい人に会いたいと言う想いですね。暮れなずむ250号線もそのまま。家に帰るまでの情景です。こう言った情景を思い浮かべるような詞は演歌で学びました。自分が漁師のバイトをしていた事が強いと思います。船の上では演歌が主に流れてましたから笑。でも演歌の凄い所は情景がパッと浮かぶんですよね。ハードコアやパンクからは正直それを鮮明に浮かんだ事は無いです。だから自分は歌詞の書き方は演歌から影響を受けたって言っても過言ではないです。その次はジャパニーズレゲエから。パンクからはその次ぐらいです。自分は歌詞カードをほとんど読みません。レコード、CD、テープ。流すだけが主で、聞こえた音楽を思い浮かべる事を優先しています。だからか情景が浮かばない音楽はあまり好きではないですね。

自分が作る曲もそうでありたいと思うので自分の実体験を主に書いてます。そう言った想いから地元がメインになると言う事でしょう。真面目にと言うか、まともに目を見開いて叫べるのは生活の中でとしか思えないですからね。ネットやテレビで得た知識よりも自分が体験した事実の方が強く叫べる。だから地元の事を書くのは当然になるんです。僕は東京の人ではないですから東京の事は書けません 笑。地元の事はいくらでも書けます。怒りも当然。だから愛もある。誰に何と言われようが地元は好きです。繰り返しますがその反面怒りもある、と言う事ですね笑。もっと良くなってほしいですから。それが大きくなったのが国になるんでしょうけど、自分がまだまだ小さい為そこまで大きい事は考えられないって事もあってか地元を叫ぶ事に優先してしまっているのかもしれないです。まぁ、本当にその通りで人間が小さいですから笑。

自分が育った街は都会の人からすれば田舎かもしれません。きっとそうでしょう。でも田舎とか都会では無いんですよね。今の時代。自分を叱ってくれる人がいるか、癒される情景があるか、大事にしたい事があるか、守りたいものや人がいるか。姫路と言う地元ではありますが、結局そう言う事だと思います。自分の故郷とはそう言う事。そう想えるから恵まれてたんですねきっと。山も海も川もあるし。何にも無いって言う人がいるけど、何にも無いって事が有るからね 笑。死ぬまでこの街を知り得ない自信がありますよ。




「何もないっていうことがある」というのはすごく分かりますね。僕もジョウジさん(そしてKUGURIDOと姫路の街と人々)に影響されたのか、数年前からこの自分の住んでる街をとても愛しいと思うというか大切に思う気持ちが強くなってきました。今住んでいる奈良の天理市も田舎なんですけど、いつも歩く並木道の何気ない紅葉のグラデーションに心を奪われたり、昭和の名残がまだ息づいているアーケードを歩いて歴史を感じて静かな感慨に耽ったり…。ほんと何もないなんてないと思うんです。僕の実家は島根の奥出雲で、周りにはコンビニすら見当たらない山と田畑ばかりの超ど田舎ですけど、自分で野菜や穀物を栽培して自給自足の生活をしているうちの親を見ていて自分が日々口にする食べ物の有り難さ、自然の恵みを痛いほど感じたり…。子どもの頃、あんなに嫌いだったこの雪国の銀世界を愛しいと思ったり(もうあの頃のように雪は積もらないので)します。だから、都会だからどうとか、田舎だからどうとか、関係ないですよね。自分が日々足をつけて生きている街があって、環境があって、風景があって、大切な人々がいる。それだけで立派な詩が生まれるというか。パンクはこうあるべきとか、ハードコアはこうあるべきとか、そういう話とも繋がってくるかもしれないんですけど、究極を言うと、別に関係ないんですよね。ジョウジさんの話を聞いてそんなことを思いました。次に、十二所戦GIGについて聞きたいんですけど、その始まりのきっかけから、イベントで大切にしているところなど自由に聞かせて下さい。


まだFAB SPACEがあった頃はそっちでやってたんですが、閉店してからはSOUND STATIONでやるようになりました。箱の前の道路が通称「十二所線」と言い、イベントタイトルはそこからきてます。それでNoLAとスウェーデンのKUROISHIが日本ツアーをする、姫路でもやりたいって事で箱を探してSOUND STATIONを見つけて、でもいきなりは怖いなと思ってその前に1度地元バンドだけでやってみようって言う流れがあったんです。音響や照明も自分たちでやらなければならなかったので。きっかけはこんな感じですね。ハードコアやパンクのイベントが姫路から無くなるのも避けたかったから良い箱があって本当にラッキーで、先ずハードコアでも受け入れてくれるのか物凄く心配でしたけどね笑。

最初の内は地元バンドでレンタルホール代やゲストの交通費をワリカンしてやってたんですけど、地元バンドにも気持ち良くやってほしいから途中からノルマは無しにして自分たちだけで責任持ってやるようにしました。それからゲストが姫路で泊まりたいとなれば僕の家に泊まってもらったりしています。ささやかではありますがみんなを迎える為にウェルカムボードを作ったりも笑。あと前回は出来なかったのですが個人的にやってるフリーペーパーをイベント毎にやってますね。1人で遊びに来る人がバンドの転換中暇しないように、それからフライヤー込みで始めて。でも今格闘技やってて試合前で疲弊しまくってるので前回は作る余裕がありませんでしたね笑。あと転換時のBGMも楽しんでもらおうと色んなジャンルでミックステープ作ってラジカセで流してます。イベントをやるにあたって大事にしてる事はそんな感じですね。早い話が楽しんでよってだけです笑。

あ、途中からデイタイムにしたのも大事な事ですね。概ね日曜日にやるので次の日はみんな仕事だろうから疲れや酒が極力残らないように、それと遠方から来る人の事も考えて。




僕らunfadedが初めて姫路に呼んでもらったときは、FAB SPACEで、あの時もすごい暖かいイベントやなあと感じましたが、十二所戦GIGはさらにお客さん、出演バンド、遠征バンドへの気配りに磨きがかかってましたね。ほんまに暖かいイベント(ただし緊張感もめちゃあります)で、誘ってもらったバンドとしては有り難すぎる素晴らしいイベントだと毎回思います。ジョウジさんのフリーペーパー“LENTAA EGRETS”にはそういう意味もあったんですね。確かにライブ一人で来る方には、めっちゃ嬉しいですよね。昼からスタートのイベントというのも、最初は意外でしたが、よく考えると確かにその方が助かる人多いし、実際に参加して分かるんですけど、ゆっくり満喫できる打ち上げまでをちゃんと考えてあるんですよね(姫路おでん大好きです笑)。凄いです。次に、(すいません、めっちゃざっくりした質問なんですけど)今の日本のパンク/ハードコアシーンまたはその周辺のアンダーグラウンドシーンについて思うところを教えて下さい。



正直な所Twitterやめてからほとんど情報が途絶えてしまったので解らないんですよね笑。それこそ数年前はZINEが結構あってそこからの情報で知り得る事が出来たのでインターネット嫌いな人にも多少なりとも地方のシーンを確認する事が出来ました。今媒体ではEL ZINEで少し知れる程度です。そこだけの情報だと何とも言えませんが、賢い人が増えましたよね。良くも悪くもなのかな。悪い所はダブスタだったり仲間には甘かったり。政治には厳しい事言うのに自分は裏で犯罪を犯すとか自分的には納得いかないですね。根が悪い人はもうとことん悪くいってほしいもんです。まぁ僕は破天荒な人が好きなので打ち上げでも寂しかったりしますけどね笑。

あとフライヤー見たりレコ屋やライブハウスで感じた範囲で言うと、フライヤーにめっちゃ懸けてる人が少なくなってきてるのも寂しいですね。一時期より音源のリリースが少なくなってきたのも。未完のデモでもストリーミングでもいいしバンバンリリースしようよってのが本音ですね。そう言った意味でも完璧主義が増えたと言うかやっぱり賢い人が増えたのかな。

それからハードコアの中でも様々なジャンルがあるのにイベントが結構偏ってる様に思いますね。特に都会は。特別悪い事では無いとは思うけど間口が狭かったら行きたくても行けない人もいるんじゃないかな。スタボンとシークがやってる孔鴉は良いですね。本当に色んなハードコアやパンク、それこそメタルも出るし、あー言うのが理想です僕は。老若男女問わず遊びに来てるし。僕らのイベントなんてほぼ男でしょ?笑。前回なんて女性ゼロやったしね笑。別にいいっちゃいいんですが、もっと考えないとな~ですね。




確かにこないだ野郎しかいなかったですね(笑)でも十二所戦GIGは最高です!老若男女問わず遊びに来るイベントってよく考えると凄いですよね。色んな人に開かれたライブという意味で、理想的ですね。リリースが停滞してるなというのは感じますね。僕が勝手に思ってた2019年はもっとリリース多い予想でしたけど…。あと、今年『FURY』日本盤をリリースしたTRAGEDYが来日するんちゃうかと勝手に盛り上がってましたし(笑)TRAGEDYについて自由に聞いてもいいですか?『FURY』を聞いて感じたところも教えて下さい。



TRAGEDYは何やろね、まぁ言った様にこれまで作曲に関してはほとんど意識して無かったんですよね。底魚が初めてで(たぶん)。レビュー等で散々TRAGEDYの名前出されてきたけどその時はお門違いもいいとこですよ笑。何と言うかそんなに言うなら1回そのまんまでやったろかな的にやってコレで言われんかったらオモロいな~って感じで。お前らTRAGEDYの何聴いてきてん、1stから聴き直せってね笑。コード運びで言っても僕らは90年代後半のSWEDISH HCのノベ~っとしたのを基盤にギターアレンジやドラミングでスピード感を増させるタイプなんですがTRAGEDYはもうコード運びでスピード感を増させてるでしょう?そしてそのスピード感はバーニングスピリッツ、ジャパニーズハードコアありきだと思うし、僕らはその辺りはたまにしか使いません。小節の切り替わりの所とか。だから根本的にやってる事が違う。心外とまでは思わないけど、なんだかな~って感じですね。まぁ結局どう思われようが知ったこっちゃないに落ち着くんですが笑。

新譜はめっちゃ好きでしたね!しっかりハードコアパンクに戻してきてより強固に感じました。何より燃えます。ハードコアパンクはやっぱり燃えてなんぼだと思うから熱くなれて良かったです。KICK AND SCREAMなんかは相当気持ち良いです。これまで3rdが1番好きでしたがこの1曲だけでひっくり返る程でした。生きてる上では怒りばっかりじゃないでしょう?悲しみもあったり喜びもあったり。そう言った色んな感情を映し出す真摯な曲が特に好きと言うか、ハードコアパンクにメロディー、エモーションを乗せまくる勇気を見習いたいですね笑。そこはメロディック過ぎやな~とか言ってた自分が恥ずかしいです。それから曲数も自分には多過ぎず少なさ過ぎずでちょうど良かったです。



ジョウジさんの言うTRAGEDYを引き合いに出される時の戸惑いなんとなく分かります(笑)「底魚」を聞いたときは確かに『おお!!!』って思いました(笑)『FURY』はほんと最高に熱くなりましたね(“kick and scream”は2019年のベストソングです)。僕の大好きなハードコアパンクの魂がつまってます。誰に何と言われようが、目の前の壁をなぎ倒して、孤独に爆走して叫び続ける。そこにハードコアの全てが集約されてる気がして感動します。何か世界の不条理と混沌が飽和しつつある今だからTRAGEDYはハードコアパンクに、そして前線に戻ってきたんじゃないかと勝手に思っていて(笑)ほんまに嬉しかったですね。来日に期待します!では、KUGURIDO(閤)というバンド名に込められた意味と、2020年の展望と目標を教えて下さい。



バンド名はねほんまに何の意味も無いんですよね笑。漢字で1文字読み仮名4文字って言う設定だけ決めて、ドラムが持ってきたのかな、響きも良かったしってだけなんです。

来年もとりあえずは作曲ですね。何曲分リリース出来るかは解らないですが出来るだけ多く。あとはやっぱり自主企画ですね。これも出来るだけ多くって事になりますが、前回みたいに共演した事無いけど一緒にやりたいってバンドも姫路にドンドン呼びたい。まぁでもメンバー全員家庭があるからこれまで同様のんびりやると言うか、活発的な活動は自分たちに向いてないと思うし、自分は自分で登山や格闘技もあるしで、兎に角やりたい事やって叫びたい事叫んで人生謳歌するだけですね笑。




なるほど、閤というバンド名はめっちゃ色んな想像を勝手に膨らませてました(笑)他のバンドもそうだと思うんですけど、みんな意外にあんまり深い意味はないのかもですね。十二所戦GIGでも驚きの新曲が聞けましたし、2020年のKUGURIDOのリリース楽しみです!!残りの2つ質問です。まず一つ目は、ジョウジさんの大好きなアーティストの作品(アルバムでもEPでも曲単位でもオーケーです)を、10タイトル教えて下さい。
 


これは難しいですね笑。レコ棚見ない、ネット検索しないで数えきれんぐらい聴いたからパッと浮かぶって意味で挙げてみます。

尾崎豊 - 17歳の地図
THE YELLOW MONKEY - JAM
泉谷しげる - 激しい季節
ミッシェルガンエレファント - G.W.D
中島みゆき - ファイト
Ryo The SkyWalker - ONE MAN ARMY
His hero is gone - surrender
Discharge - Fight back
Ictus - sed de vengaza
Pisschrist - Punk is love

もっとカッコいいバンドや渋いだとかテクニカルだとかは沢山いるけど、絞りまくったら単純な所になりますね笑。前半はカラオケで歌っている事が大きく、後半は影響を受けたって事が大きくなるかな。歌詞の書き方、言葉の並べ方なんかはRyo The SkyWalkerに1番影響受けたって言っても過言ではないです。



凄い…(笑)研ぎ澄まされた選曲にちょっと驚きましたが、よく考えるとなるほどの10曲です。名曲揃いですね!ジョウジさん(そしてKUGURIDO)のことをよく知るための確かな10曲だと思います。では、最後の質問です。バンドのTシャツにもあったKUGURIDOのテーマでもある『MIND OF ALPINIST』について自由に聞かせて下さい。



アルピニストってのは登山用語と言うか、登山家の中でも常に高みを目指してる人の事を指すんです。主にクライマーですね。僕からすれば孤高と言うかめちゃくちゃストイックで、かと言ってパートナーたちには優しく、そんなイメージがあります。その中でもパートナーを連れ添わない単独でやってるアルパインクライマーを最も尊敬しています。何から何まで1人でやる。壁に1人へばりついて不安にさらされる、何かしらの事故が起きた時の状況、その困難の度合いや感情は常人には想像も尽きません。それでも山へ行くんやから気が狂ってるとしか思えませんが 笑、まぁでも本当にそうで狂ってる人にしか出来ない事でしょう。そんな事はやってる本人が1番解ってるでしょうし。これまで何人もの登山家が山で亡くなったし、目の前でパートナーを亡くした人も沢山いる。それでも高みを目指してやるんやからイカれてるしか思えない。むしろイカれてるのがアルパインクライマーの正常、普通だと言えます。

バンドでも、なんでこんな事やっとんやろ、何の為に曲作っとんやろとふと思う時が多々あります。でも結局やってしまうんですよね笑。やっぱりポジティブ、ネガティブ問わず色んな感情での絶頂を知ってしまったからでしょう。毎回ライブが違うだとか、前聴いた時より気持ち良いだとか、そんなバンドが好きやし自分もそうでありたいと思います。だから毎回のライブや作曲で限界を引き伸ばして1番気持ち良くなれる所を探すって事ですね。尤もバンドでの技術面にはあまり重点を置いてませんが笑。内面ですね重点を置いているのは。それを遂げれば安酒も美酒になるってなものです。体の故障や練習量の少なさ、色々言い訳があったとしてもその時々によって自分にとっての頂きを踏む事が最大のテーマですね。その日めちゃくちゃ気持ち良く眠れるように笑。


⬛話し手:JYOJI HARADA(KUGURIDO)
⬛聞き手:Nobuto Suzuki(unfaded)


“山は自分のために登るものだと思う”
“山登りは優劣ではない。どんなハイキング的な山であっても、登る人自身が登り終えた後も深く心に残る登山がほんとうだと思う”

登山家で冒険家の植村直己さん(1941-1984)の言葉だ。

僕にとってハードコアパンクの魂とは、孤独の中で叫び続けて爆走して目の前の見えない壁を破壊し突破する姿にある。『MIND OF ALPINIST』(登山家の心)は間違いなくそれと同じように思う。表現というのは究極的には孤独の中にしか生まれないのではないか。だから、世の中がどんなに変わろうとも、変わらないものがある。ジョウジさんと話をしてそこが改めて分かった。世界の片隅で今も誰かが孤独の中で何かを産み出し続けている。

これからKUGURIDOが彼らにとってのどんな頂きに到達するのか本当に楽しみだ。





【付録】閤 JYOJIによるKUGURIDOバイオ&音源解説

KUGURIDOの結成自体は2016年の夏前ぐらいだと思います。メンバーは結成当初から変わらず僕がベースボーカルのJyoji、ギターがHama、ドラムがGotoですね。結成時に僕の家で集まって色んなレコードを出してとりあえずの方向性を決めようと、その時は結局アメリカのMasakariみたいな感じで、と言う所に落ち着きました。D-beatとブラストを上手く組み合わせてダークでメロディアス。それで出来たのが1st demoとして2016年8月にリリースした「夜」と言う曲です。この曲は当初はMasakariを意識して作り始めたのですが自分の持ってた陰鬱なコード進行を混ぜて作った事も相まった結果全くMasakari関係ないやんになりましたが、歌詞は馬鹿馬鹿しいかもしれませんが自分のランニングコースで目に映ったものですね笑。陽の当たる場所でやってる人たちとの闘いみたいな意味合いで書きました。そんな闘いはあるはずもないのですが。

時間軸がズレるのですがsekien時に岡崎のDIEAUDEとスプリットを出そうと約束していて、でも解散する事となってその旨をDIEAUDEに伝えてデモを送った所、新しいバンドでいいよとの事でOKしてくれて急いで曲作って「夜」の他に出来たのが「セキレイ」「瀑声」「奴僕」で、リリースしたのが2017年2月ですね。この時点で既にMasakariは全く意識してなくて感覚だけで作ってます。今となってはもう1曲もライブでやってないですが自分はセキレイが特にお気に入りでした。自分が作ってきた曲に比べて違ったコード進行で作ったのと初めて登山の事をメインで書いたからです。「瀑声」はDIEAUDEに対してのリスペクトを込めて作った曲です。歌詞は滝の事で削られ形成される様を書きました。最後の「奴僕」は今でもテーマとしてある社会や国からの俺は奴隷かと訴えたくなる事が多々あって、その様な事を書いてます。コード進行は主にメンバー全員の共通点であるSwedish HCを軸にしています。4曲それぞれに色を持たす為にコード進行を意識してバラバラに作ったのですが「奴僕」が今の基軸を作ってると思うので自分としては重要な曲ですね。


それから3LAのコンピレーションへの参加が決まったのでまた違ったコード進行で作ったのが「ヒダルガミ」で結局この曲はコンピに入れるには弱いと思って急いで作ったのが「桃源郷夜想曲」、結局この曲で参加する事にして「ヒダルガミ」は自主企画でコンピを作ってそちらに入れて無料配布しました。それが2017年6月リリースで、3LAコンピが2017年9月。まぁ今はどちらの曲もやっていませんが笑。ちなみにヒダルガミに関しては作り直してunfadedとのスプリットに入れる事となります。
それから翌年2月に1st e.p.として4曲入りをリリースしました。入れたのが先ずは「バサラ」って曲でこの曲の基盤は「奴僕」とこの曲を作る前にライブでカバーしたSTATE OF FEARのVIOLATIONで使われてたコードをミックスして出来ました。コード進行が気持ち良くて気に入ってて今でもライブでやってます。歌詞は婆娑羅大名の事で嫌われようが自我を貫いたり、その中には男気があったり優しさがあったり等、そう言う部分を自分は大事にしている事なので歌詞にしてみました。2曲目の「徒渉」はコード進行はオーソドックスにして歌詞はSNSで馬鹿みたいな使い方をしている人に対してのアンチソングですね。3曲目の「八月の狂詞曲」は解る人には解ると思いますが黒澤映画を見てのアンサーです。自分は育ちこそ姫路ですが長崎生まれなので親から聞いた事も多々ある為想う事もその分あります。あと歌詞の一部では原民喜氏の悲痛な詞も使わせてもらっています。この曲を録音する時は特にボーカルでは物凄く感情を乗せれたのを憶えています。4曲目が「宜候」と言う曲でこの曲は自分が25歳時に1人旅日本一周をしていてお金が無くなって長崎で漁師のバイトで船に乗っていた時の事を主に、それを地元の海に反映して書きました。曲の雰囲気はDEATH SIDEから影響されてる所をふんだんに。結構気に入ってたのですがコーラスがキツ過ぎてコーラス組が歌わなくなったのでやらなくなりましたね笑。このe.p.のアートワークは物凄く気に入っています。ベニヤ板にステンシルとシルク印刷を自分たちでやって時間と手間がめちゃくちゃ掛かって二度とやらないと心に誓いましたが笑。流通は乗せませんでしたね。

2018年の8月にCD-RとTAPEでデモをリリースして、入れた曲が先ず「雑草」でこれは自分が家庭菜園レベルですが野菜を作っていて、その反面仕事で農薬を配達する事があって自分への疑問も含めた農薬へのアンチソングです。配達する農家さんに農薬を使う事、使わされる事の話も聞いて色々と想う事があったので。2曲目は「棲戦」で登山をする傍らダムを目にする事があるので、それに関する事を書いています。被害を受けるのは周辺の川だけでなく実は海まである。と言った事ですね。3曲目は今ライブのラスト曲としてやってる「紅峰鴉」で当て字で読みは「クレイア」です。完全に響きから器用しましたが地元に京見山と言う山があって頻繁に登ってるので歌詞にしました。最初のデモ「夜」からの地続きにした内容です。コード進行は「奴僕」から。
そして今年2019年の8月にunfadedとのスプリット7インチになるのですが仮定を建ててunfadedはひょっとしたら5分以上の曲で7インチだから1曲入りになるかもしれない、自分たちは逆に1分ぐらいの曲で4曲入りにしようと決めて作る事にしました。出来た順と言うか流れを考えて1曲出来たら繋げるようにして作りました。最初が「底魚」でこれは読んで字の如くになりますが魚でも根魚の事を歌っています。入ってくる少ない光を求めてモガクと言った感じです。コード進行は完全なるTRAGEDYで自分が作った中では初めてTRAGEDYを意識して作りました。(ってかそのまんまですが笑)次の「思残債」は造語で「シザンサ」と読み、これも自分あるあるの響き優先です笑。歌詞は「底魚」からの地続き。あと余談ですが津山に昔MINORITY XPOSEと言うバンドがいてそのバンドの1曲に物凄く感化されてと言うか、パクりてぇ~!となって「サネッサー!」とサビで叫んでいます笑。マイノリティは「パライサー!」ね笑。次に「ヒダルガミ」ですがボツにしてた曲を全く別の形で作り直して歌詞は残したい所は残してと言った感じで結構お気に入り。これは地元の雪彦山と言う山での歌詞です。ギターソロが特に好きかな。最後の「250号線」ですが「ハマコク」と読みます。地元の人にしか解らない愛称ですね笑。仕事でも散歩でも釣りでも昔から行ってる姫路港、そこから家に帰る様を書いています。特に仕事に照準を当てていますが、海や道があればまた会えると言う知り合った仲間たちへのラブソングです笑。スプリットと言う事で、unfadedへの想いもあるので。これも基盤のコード進行は「奴僕」です。あとアートワークは今まで1番こだわり、時間も掛かりましたね笑。

unfaded

unfaded Neocrust / hardcore punk band in Nara, Japan.

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